行き先も見えず、多岐亡羊

おじさんがダラダラ書いている日記的なモノ

100年前のこと

 

スペイン風邪って、その名の通り、スペインで発生したとばかり思っていたら、違うらしい。発生源はアメリカ。1918年、第一次世界大戦中の欧州戦線に感染した米兵が参加。当時の前線といえば塹壕戦で、密集、不衛生、疲労蓄積、今回のコロナと同じでバッチリの条件。あっという間に感染拡大した。しかし、そこは戦争中。「 前線の兵士が病気でバタバタ倒れている 」 なんて弱みは絶対に見せられない。戦争参加国は報道管制。そんな中、中立国で大戦に参加していなかったスペインでは正直に報道して、国民に注意を呼び掛けた。それで、「 スペインで謎の風邪が流行している 」 ということになってしまった。もちろん、スペインは抗議したけれど、「 スペイン風邪 」 という通り名は、ウィルス同様、広まった。当時はテレビもネットも無いけれど、メディアの力は100年前も同じ。きっと何百年後でも、謎のウィルスが流行する度に、「 スペイン風邪 」 は引用されるだろう。気の毒な話。それに比べると、「 武漢ウィルス 」「 Chinese Virus 」 は極めて真っ当なネーミングだけど、中国は絶対に阻止するだろう。それにしても、covid-19 って名前、全然定着しない。10年後、この新型コロナが何と呼ばれているかは、今後の国際情勢による。

コロナ騒動が無かったら、死ぬまで、「 スペイン風邪はスペインが起こした病気 」 と思ったことだろう。SARS・MERSは日本にほとんど被害を及ぼさなかったし、疫病対策について考える良い機会だったのだと思う。遺族の方には「 良い機会 」 なんて口が裂けても言えないけれど。テレビでスペイン風邪について特集されていたし、ネットでも100年前と今回を比較する記事も上がっている。参考にさせてもらいながら、少しまとめておこうと思って。

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18年冬 ~ 春、18年秋 ~ 19年冬、19年秋 ~、と三シーズンに渡って流行し、全世界の死者は4千万人から1億人。情報機関が発達しておらず、未開の地も多かったので、正確な数字は分からないらしい。ただ、第一次世界大戦での戦死者 ( 1500万人 ) よりも多く、大戦終結を早めたとも言われている。

世界で流行るものは当然、日本にもやってくる。18年4月、日本でも最初の被害が出る。航空便の無い時代。それでも、意外と早くやってきた。世界は思ったより狭い。

最初の接点は、当時日本の植民地だった台湾。日本から巡業に出掛けた力士たちが感染し、数名が死亡した。そのため最初は力士病と呼ばれた。しかし、この時、季節は春から夏。インフルエンザウィルスは、湿度の高い日本の夏では分が悪い。それほどの被害は無かった。

鳴りを潜めていたウィルスが本格的に爆発したのは秋から。感染者・死者うなぎ上り、一か月で13万人も亡くなった。現在爆発的に死者が増えているアメリカでも1か月3.4万人の死者なので、圧倒的な数。全滅寸前の集落、棺桶の山。シーズン全体では25万人が亡くなった。翌秋に再び感染爆発。感染者は前年に比べ減ったが、死亡率は5%と高かった。毒性が増したと言われている。死者12万人。

当時、ウィルス自体はまだ発見されていなかったが、飛沫・接触感染することは分かっていた。そこで日本政府の取った対策は「 公共の場でのマスク着用 」 「 密集禁止 」 「 休校措置 」 100年前から基本的な対策は現在と変わらない。ただ、対策が徹底されていた訳でも無かった。都市封鎖は無く、企業・工場は休業にならず、芝居や相撲などの興行も禁止されなかった。首相がパーティに参加して、感染したという話も。当時は、そこまで認識が及ばなかったらしい。疫病対策の未熟さは結果に反映された。1920年秋も、数千人の死者を出し、スペイン風邪での日本の死者は40万人。当時の日本の人口は5千万くらいなので、なかなかの数字。

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 【 行動制限と解除 】

当時のセントルイスフィラデルフィアの死亡者の推移の比較が出ていた。1918年10月、逸早く行動制限を開始したセントルイスでは封じ込めに成功。死者数は伸びない。一方、制限が遅れたフィラデルフィアは爆発的に死者が増えた。ピーク時の死者は1万4千人。しかし、11月に入ると立場は逆転する。感染が一巡したのか、フィラデルフィアの死者は激減、落ち着いてくる。一方、セントルイスは11月に制限を解除したこともあって、徐々に死者が延びてくる。フィラデルフィアが尖った山を形成したのに比べ、セントルイスは緩やかな山。コンスタントに死者を出し続け、12月には2千人を超える。トータルで見れば、それほど変わらない。制限解除のタイミングを見極めるのは難しいようだ。

 【 軍艦矢矧での感染拡大 】

1918年11月、軍艦矢矧はシンガポールに到着した。艦長は当初、現地人の乗艦、乗組員の上陸を認めず、情報収集に努めた。2週間の状況調査で、シンガポールでは終息傾向にあることが確認された。そこで、2日間、乗組員の半数ずつ4時間に限って上陸を許可した。しかし、2日後、乗員4人が発熱。しかし、軍医はこれを軽い風邪と判断、艦はマニラに向けて出港した。閉鎖された艦内で感染は拡大。469人の乗員の9割が罹患。死者は48人。

NHKの番組では上陸前の慎重さに言及していたが、ネットの資料だとその点は一切削除されている。この部分があるとないとでは、印象、教訓、全然違う。どちらが正確な情報か? ただ、軍医が乗員の状態を見誤ったのは間違いない。

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この手の特集番組の最後の締めは、「 自国ファーストに陥っている場合では無い。人類一丸となって協力して、ウィルスに立ち向かわなければならない。 」 確かにその通りだと思う。本当にそう出来るのであれば、そうすべきだろう。出来るのであれば。

現在「 世界一丸となって、一緒にウィルスに立ち向かいましょう 」 と言っているのは、中国。世界各国に援助物資を送り、スローガンは博愛主義だが、下心は見え見え。しかもその裏で、欧米が弱っているうちに香港も抑え込もうとしている。香港については気の毒だと思う。力になりたいが、どの国も何も出来ないだろう。アメリカは香港のために戦うポーズを見せているが、どこまで本気かなあ。選挙対策としてはリスクが高いように思うけれど。普段綺麗事を連発する欧州は世界どころか、EU内すらバラバラ。そして、世界一丸になるための機関のはずの国連と専門機関は信頼を失った。国内のマスク、消毒液すら不足している日本が出来ることは何かあるのか? 日本に出来ることは、これから混沌とする世界情勢の中、舵取りを誤らないようにすることだけ。

理想は大事だけど、現実は厳しい。

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メディアは安倍降ろしに必死だ。首相は疲労の色が濃いし、念願の憲法改正も遠のいた。支持率も激減したようだし、退陣するのかなあ。次は誰がやるのか知らないけれど、第二波が来ても、上手くやってくれるだろう。というか、二度目で上手く出来なかったら、その組織は無能だ。

コロナ後は、経済、社会、国際情勢、荒波がやってくる。そんな時に、この国はビジョンがあるかないかも分からない、未知数な指導者に舵を取らせるつもりらしい。南の島では緊張感が増しつつあるというのに。なかなかギャンブラーだ。表が出るか裏が出るか。上手く出来るかもしれないし、出来ないかもしれない。まあ、それもいいだろう。「 パンとサーカス 」 ばかり要求する国民が選ぶ道だ。なるようにしかならない。